刑事コロンボに登場するBCLラジオ [BCLラジオ]
11月23日は何の日? [BCLラジオ]
いい夫婦の日の翌日はもちろん勤労感謝の日ですが、昭和のBCLファンにとっては忘れられない日だと思います。
昭和53年11月23日の日本時間9時1分に世界同時に中波放送局の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更されました。
実業之日本社刊 BCLブック 昭和53年版から
当時はPLLシンセサイザー方式のラジオはほとんど市場に出回っていなかったので、プリセットメモリーの概念はなかったのですが、カーラジオではアナログ方式ながらプリセットチャンネルがありましたので、設定変更しなくてはなりませんでした。
当時は変更の数か月前から盛んに周波数変更のアナウンスがされていたと記憶しています。
実業之日本社刊 BCLブック 昭和53年版から
当時のバイブルBCLブックに受信できた国内中波局に〇をつけていたのですが、その横に奇妙な数字が書き込んであり、これって何だろうかとしばらく考えて、ああそうだ! 当時持っていたRF-2800(プロシード2800)って中波の周波数表示が中間周波数である455kHzを減算する前の表示になっていたのでした。例えばTBSラジオの場合は954+455=1409というような感じです。短波はまともに表示されるのに不思議でした。発売を急ぐ故に中波のことまで手が回らなかったのでしょうか。
短波の周波数表示は問題ないですが中波はバンドセレクタの右のスイッチを押し下げている間だけ+455kHzで表示されるという不完全なものでした。
これは少々めんどくさいものでしたが、後継機のRF-2600ではまともになっていました。
コストパフォーマンス抜群のRF-2600
昭和53年11月23日の日本時間9時1分に世界同時に中波放送局の周波数間隔が10kHzから9kHzに変更されました。
実業之日本社刊 BCLブック 昭和53年版から
当時はPLLシンセサイザー方式のラジオはほとんど市場に出回っていなかったので、プリセットメモリーの概念はなかったのですが、カーラジオではアナログ方式ながらプリセットチャンネルがありましたので、設定変更しなくてはなりませんでした。
当時は変更の数か月前から盛んに周波数変更のアナウンスがされていたと記憶しています。
実業之日本社刊 BCLブック 昭和53年版から
当時のバイブルBCLブックに受信できた国内中波局に〇をつけていたのですが、その横に奇妙な数字が書き込んであり、これって何だろうかとしばらく考えて、ああそうだ! 当時持っていたRF-2800(プロシード2800)って中波の周波数表示が中間周波数である455kHzを減算する前の表示になっていたのでした。例えばTBSラジオの場合は954+455=1409というような感じです。短波はまともに表示されるのに不思議でした。発売を急ぐ故に中波のことまで手が回らなかったのでしょうか。
短波の周波数表示は問題ないですが中波はバンドセレクタの右のスイッチを押し下げている間だけ+455kHzで表示されるという不完全なものでした。
これは少々めんどくさいものでしたが、後継機のRF-2600ではまともになっていました。
コストパフォーマンス抜群のRF-2600
モスクワ放送ってどうなった? [BCLラジオ]
ロシアの国営テレビの生放送中の衝撃映像をみて、情報統制って本当に行われているんだと感じました。
勇気を出して反戦を訴えたテレビ局の女性編集者がこのあとどのように処罰されるのか心配です。
それで思い出したのですが、70~80年代に日本語のモスクワ放送ってありましたよね。
ソ連の一部であったウクライナからは「ラジオ・キエフ」として海外向け短波放送(英語)がありました。
モスクワ放送(ラジオ・モスクワ)の日本語放送はウラジオストクから中波で強力な電波(1000kW)を発射していたので日本でもいやがうえにも明瞭に入感してました。
あまりの強力さに、同じ周波数(1250kHz)を使っていた沖縄の極東放送が混信障害に悩まされて、仕方なく?中波から撤退せざるを得なかったとのことです。そもそも沖縄には民放の中波局が3つもあったのが不思議でした。極東放送は音楽中心の放送局だったこともありFM沖縄として再スタートしたようなので結果的には良かったのかもしれません。
モスクワ放送について当時はそんなこと考えたこともなかったのですが、今はプロパガンダとかいろいろ言われているので、その後どうなっているんだろうと調べたのですが、90年代にソ連崩壊とともに「ロシアの声」という名称になって約20年間日本語放送は続いていたみたいです。全く興味がなかったので一回も聴くことはありませんでしたが・・・。その後「ラジオ・スプートニク」となって間もなく電波の日本語放送は休止したようです。
勇気を出して反戦を訴えたテレビ局の女性編集者がこのあとどのように処罰されるのか心配です。
それで思い出したのですが、70~80年代に日本語のモスクワ放送ってありましたよね。
ソ連の一部であったウクライナからは「ラジオ・キエフ」として海外向け短波放送(英語)がありました。
モスクワ放送(ラジオ・モスクワ)の日本語放送はウラジオストクから中波で強力な電波(1000kW)を発射していたので日本でもいやがうえにも明瞭に入感してました。
あまりの強力さに、同じ周波数(1250kHz)を使っていた沖縄の極東放送が混信障害に悩まされて、仕方なく?中波から撤退せざるを得なかったとのことです。そもそも沖縄には民放の中波局が3つもあったのが不思議でした。極東放送は音楽中心の放送局だったこともありFM沖縄として再スタートしたようなので結果的には良かったのかもしれません。
モスクワ放送について当時はそんなこと考えたこともなかったのですが、今はプロパガンダとかいろいろ言われているので、その後どうなっているんだろうと調べたのですが、90年代にソ連崩壊とともに「ロシアの声」という名称になって約20年間日本語放送は続いていたみたいです。全く興味がなかったので一回も聴くことはありませんでしたが・・・。その後「ラジオ・スプートニク」となって間もなく電波の日本語放送は休止したようです。