はじめて買ったCD [デジタルオーディオ]
国産CDプレーヤーの一号機は、1982年10月に発売された
SONY CDP-101(168,000円)と日立DAD-1000(189,000円)でしたが、
高価だったため、すぐに普及することはありませんでした。
Lo-D DAD-1000 ¥189,000 このデザインは浸透しなかった。
YAMAHAが 1983年にCD-X1(98,000円)、1984年にCD-X2(69,800円)を
発売すると、他メーカーも追随して安価なCDプレーヤーを発売して、
急速に普及していくことになります。
ヤマハの2号機:CD-X2 と 驚異の低価格:ソニー D-50
同じ下宿の先輩が、ヤマハのCD-X2を持っていたので、自分もぜひデジタルサウンドを
確かめたくて、1985年に初めて買ったCDがホイットニー・ヒューストン「そよ風の贈りもの」でした。
でもまさか27年後に、こんなかたちでニュースになるとは思ってもみませんでした。
ちなみにこのCDは日本盤(1985年)とUSA盤(1987年)ですが、USA盤に比べて日本盤の
音量レベルがかなり低く、生産国によってレベルが違うのか、もしくは初期のCDはレベルを
抑えてあったのかもしれません。
SONY CDP-101(168,000円)と日立DAD-1000(189,000円)でしたが、
高価だったため、すぐに普及することはありませんでした。
Lo-D DAD-1000 ¥189,000 このデザインは浸透しなかった。
YAMAHAが 1983年にCD-X1(98,000円)、1984年にCD-X2(69,800円)を
発売すると、他メーカーも追随して安価なCDプレーヤーを発売して、
急速に普及していくことになります。
ヤマハの2号機:CD-X2 と 驚異の低価格:ソニー D-50
同じ下宿の先輩が、ヤマハのCD-X2を持っていたので、自分もぜひデジタルサウンドを
確かめたくて、1985年に初めて買ったCDがホイットニー・ヒューストン「そよ風の贈りもの」でした。
でもまさか27年後に、こんなかたちでニュースになるとは思ってもみませんでした。
ちなみにこのCDは日本盤(1985年)とUSA盤(1987年)ですが、USA盤に比べて日本盤の
音量レベルがかなり低く、生産国によってレベルが違うのか、もしくは初期のCDはレベルを
抑えてあったのかもしれません。
ご注意!CS-PCMは7月で放送終了です [デジタルオーディオ]
つい最近この事実を知って、来るべきときがついに来たかという感じがします。
1990年代は放送業界もデジタル化が進み、CS-PCM放送が始まりました。
チューナー第1号機NE-PCM9000は180,000円というとてつもなく高価なものでした。
これは200X年にオークションで中古を手に入れることになるのですが、この機種特有のリレー不具合が発生して、メーカー修理不能だったためジャンクとしてどなたかにお譲りしました。
話は199X年に戻しますが、第2世代チューナーがNECから発売されました。(PCM-700:写真)
これは第1号機の半額以下の75,000円という良心的な価格設定だったので速攻で買いました。
PCMジパング等のチャンネルを中心にエアチェックしまくりましたね。
そのころはかつての貧乏学生ではなく、すでにバリバリ働いていたので録音デッキは下の写真のようにいくつも持っていました。
コンポの外観は80年代はシルバーパネル(高級品はブラック)が多かったのですが、90年代はゴールドパネル一色となりました。
この中ではとくにパイオニアのD-50はよく使いましたね。いまでも現役で活躍中です。
サブ機としてパナソニックのSV-DA10の展示処分品を衝動買いしましたが、LPモードがなかったので結局あまり使いませんでした。このときテクニクスブランドとPanasonicブランドが混在して販売されていたことが興味深いですね。
これらで録音したテープは、DENONのDTR-80Pで車の中で聞いていました。カーオーディオはBOSEの高級システムだったので、満足していました。下の写真は10年乗ったその愛車から記念に取り外したエンブレムです。
もちろんMDにも録音していました。
デッキはMDS-JA3ES(下の写真)を使って録音し、車の中ではMZ-1で聴いていましたが、どちらも購入から1年余り経過してからソニータイマーが発動し何度も入院しました。
その後もすっきりせず、あきらめて現在に至っています。
これらを買ったのは、大学を卒業して2~3年のうちです。
それまでの貧乏生活の反動のためです。
独身だったので何でも自由に買えてオーディオ生活は充実していました。
1枚3千円のCDも躊躇なくバンバン買っていましたね。
いまは・・・・?
当然家族のためにお金を使っていますよ。
1990年代は放送業界もデジタル化が進み、CS-PCM放送が始まりました。
チューナー第1号機NE-PCM9000は180,000円というとてつもなく高価なものでした。
これは200X年にオークションで中古を手に入れることになるのですが、この機種特有のリレー不具合が発生して、メーカー修理不能だったためジャンクとしてどなたかにお譲りしました。
話は199X年に戻しますが、第2世代チューナーがNECから発売されました。(PCM-700:写真)
これは第1号機の半額以下の75,000円という良心的な価格設定だったので速攻で買いました。
PCMジパング等のチャンネルを中心にエアチェックしまくりましたね。
そのころはかつての貧乏学生ではなく、すでにバリバリ働いていたので録音デッキは下の写真のようにいくつも持っていました。
コンポの外観は80年代はシルバーパネル(高級品はブラック)が多かったのですが、90年代はゴールドパネル一色となりました。
この中ではとくにパイオニアのD-50はよく使いましたね。いまでも現役で活躍中です。
サブ機としてパナソニックのSV-DA10の展示処分品を衝動買いしましたが、LPモードがなかったので結局あまり使いませんでした。このときテクニクスブランドとPanasonicブランドが混在して販売されていたことが興味深いですね。
これらで録音したテープは、DENONのDTR-80Pで車の中で聞いていました。カーオーディオはBOSEの高級システムだったので、満足していました。下の写真は10年乗ったその愛車から記念に取り外したエンブレムです。
もちろんMDにも録音していました。
デッキはMDS-JA3ES(下の写真)を使って録音し、車の中ではMZ-1で聴いていましたが、どちらも購入から1年余り経過してからソニータイマーが発動し何度も入院しました。
その後もすっきりせず、あきらめて現在に至っています。
これらを買ったのは、大学を卒業して2~3年のうちです。
それまでの貧乏生活の反動のためです。
独身だったので何でも自由に買えてオーディオ生活は充実していました。
1枚3千円のCDも躊躇なくバンバン買っていましたね。
いまは・・・・?
当然家族のためにお金を使っていますよ。